夏至

昼が最も長く、夜が最も短いのが夏至だというけれど いつも思ってしまう。 ほんまかいな。 だって 梅雨が明けてからの ぎらぎらとした陽の光の強さといったら 獲物を狙う肉食獣の眼(まなこ)のごとし。 太陽がその勢力を十分に見せつける真夏にこそ 夏至なる昼が最も長いという記号が似合うと思うのだ。 と、ここまで書いて、気づいた。 長いのと強いのは、同じではないのか。 陽の光が 夏至を過ぎ 昼が短くなるのを気づかせないほどその強さを増すとしたら 絶頂を向かえいよいよ血気盛んな壮年のライオンを思わせる。 やはり夏至は 長さの極みである。 そして そのあとに強さを発揮してこそ 本物の王者といえるのであろう。 Advertisements

立夏

新芽が若葉に育ち 元気いっぱい弾けています。 黄緑色がお日様に反射して きらきらと本当にきれい。 ジャケットを脱いで シャツ1枚になって お出かけしましょう。 そろそろ半袖を出しておかなきゃね。

春分

真東から日がのぼり 昼と夜とが等しく分けられ 春の起こりを指し示す、この日。 思えば、華やかさはない。 春のはじまりであるならば もっとにぎやかでもよさそうなのに その日は ひっそりと控えめにやってくるのだ。 はじまりとは本来 このようにあるものなのだろうか。 仰々しく派手に飾られたはじまりは はじまったことを宣言するための記号に過ぎず 真のはじまりとは それとは気づかぬほど ほんのちょっぴりとしたものなのか。 そう考えるならばこの日は 起点というよりはむしろ 基準ととらえたほうがしっくりくる。 清々しい風がほほを撫で ああ春がやってきたと感じるのは 春分という基準を越えた後なのである。 自然が織りなす花に彩られ わずかな不安や恐れをも引き連れて 慎ましくしとやかにその日はやってくる。 わたしたちは 動かぬ基準の貴さを春分によって知るのである。

立春

春を待ち望む者への朗報。 そして 冬を愛する者にとっては惜別。 春という字が現れるのに 凍てつく空気が融ける気配はまだない。 この日を境に 春を想う気持ちが募るのは 春という字を見てしまったからか。 この日を境に 冬への愛おしさが増すのは 冬という字が見えなくなってしまったからか。 真冬の寒さにあって 春を感じるという不思議。 春のまぼろしが見える日である。

冬至

かぼちゃを食べて ゆず湯につかり こころと身体を芯から温めましょう。 凍てついて縮んでしまった全てが ゆっくりと膨らんで ほかほかと湯気を放つまで。 ほっぺが赤くなって 笑い声が響き渡りますように。

秋分

夏の名残にさようなら。 秋の気配にこんにちは。 はっきりとした分け目ではないものの やっぱり境目はここしかないと思いたい。 秋分を過ぎて半袖だなんておかしいし 秋分の前に上着を羽織るのもへん。 そしてわたしの体感では 秋分とおはぎがしっかりと結びついている。 もち米とあずきを用意して おはぎをつくろう。 そう、わたしには その日を秋分と呼ぶよりは 彼岸の中日と呼びたい日なのであった。