春分

学校の体育館は寒い。小学生の娘が、寒い寒いとよくぼやくが、私も小学生の頃、やはり寒い寒いとぼやいていた。そんな寒い体育館に、それでなくとも寒い三月、五年生と六年生は度々集められるはめになる。卒業式の練習である。
今どきの子ども達は、場合によって暖かいダウン着用の上、ひざ掛けの持ち込みまで可らしいが、私が小学生の時代は上着の着用さえも禁止だった。私たちは寒さに震えながら、一糸乱れぬ起立着席や、卒業の歌を高らかに歌い上げる練習をした。
そんな歌の歌詞の中に、『育て、賢く丈夫にと、今日のこの日を待っていた、父さん母さん有難う』という箇所があった。どことなく昭和の匂い漂う歌詞だが、当時の私は、お父さんお母さんというものはそんな風に思っていたのかと感心し、それならお母さんは卒業式に泣くかなと、ちょっとワクワクしていた。
卒業式の数日前、私は母に聞いてみた。お母さんは私の卒業を待っていた?と。
「別に」
母の返答は早かった。私は、母が質問の意味を分かっていないのかと思い、少し言葉を変えて再度尋ねた。お母さんは私の卒業を楽しみにしていた?
「別に」
母はきょとんとした。私もきょとんとした。それから気を取り直して、もう一つ質問をした。お母さん、卒業式は泣くと思う?
「何で?」
揺るぎのない疑問形で母は答えた。私は大人しく引っ込んだ。
卒業式、やはり母は泣かなかった。最初から最後まで、にこにこしていた。気持ちよく晴れた、暖かい日だった。母は泣かなかったが、私は泣いた。明るい日差しの射しこむ晴れ晴れとした教室も、厳かに静まり返った体育館も、何もかもが寂しくて泣いた。女子はみんな泣いていた。先生も親たちの大方も泣いていた。すすり泣きの響く体育館を、『蛍の光』と拍手に送られて涙ながらに出た途端、私の目の前に大きな桜の木が飛び込んできた。体育館の前にある、六年間見慣れてきた桜の木である。
あ、今年はこの桜の花、見ないんだ。
そう気付いた瞬間、ふっと涙がひいた。友だちの泣く声や周囲のざわめきが一瞬遠のき、満開の桜が見えたような気がした。風がさぁっと吹き、私は空を見上げた。三月の空って、わりと青いんだなと、その時そう思った事を今でも覚えている。
あの瞬間、きっと私は一つの時代に幕を下ろす切なさを、初めて知ったのだ。
今も春分の頃になると、意味もなく切なくなる。それはきっとあの時の青い空と、まだ咲いていなかった満開の桜のせいだと、私は思っている。
娘の卒業式には、間違いなく私は泣くだろう。

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