春分

真東から日がのぼり
昼と夜とが等しく分けられ
春の起こりを指し示す、この日。

思えば、華やかさはない。

春のはじまりであるならば
もっとにぎやかでもよさそうなのに
その日は
ひっそりと控えめにやってくるのだ。

はじまりとは本来
このようにあるものなのだろうか。

仰々しく派手に飾られたはじまりは
はじまったことを宣言するための記号に過ぎず
真のはじまりとは
それとは気づかぬほど
ほんのちょっぴりとしたものなのか。

そう考えるならばこの日は
起点というよりはむしろ
基準ととらえたほうがしっくりくる。

清々しい風がほほを撫で
ああ春がやってきたと感じるのは
春分という基準を越えた後なのである。

自然が織りなす花に彩られ
わずかな不安や恐れをも引き連れて
慎ましくしとやかにその日はやってくる。

わたしたちは
動かぬ基準の貴さを春分によって知るのである。

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